砂に埋もれた家々、色あせたモスク、そして忽然と消えた住民たち…。
アル・マダムの埋もれた村は、ドバイから車で約1時間、シャルジャ近郊の砂漠にひっそり残る幽玄な廃村だ。
1970年代に建てられた集落が短期間で放棄され、砂丘に飲み込まれていった経緯は現地の伝承になっている。
本記事では、アル・マダムの成り立ちかと放棄の背景、噂される心霊現象、そして現在の保存や観光状況まで詳しく解説する!
今回は、アル・マダムの埋もれた村の歴史や心霊現象は今どうなっている?現在も追ってみた!について紹介する。
アル・マダムはなぜ埋もれた村になったのか
アル・マダムの周辺には、古くから集落や貿易の痕跡がある。
そして1970年代に政府や地方の公的プロジェクトとして建設された、簡素な住宅群とモスクを中心とした小さな集落だった。
短期間で住民が移転や離散し、建物は砂に埋もれていった…。
これらの理由については複数の説があり、建物のインフラ不足、施工不良、さらに近代化に伴う人口移動が重なったと説明されることが多い。
こうした社会的や環境的要因により、1979年~90年代には事実上放棄され、砂漠の浸食で半分以上が埋もれてしまった。
アル・マダムの噂と都市伝説はどこから出てきたのか?
アル・マダムが幽霊村として語られる理由には、以下にまとめて見た。
- 慌ただしく残された生活の痕跡
- Jin伝承との結びつき
- 砂漠の浸食という強烈な自然現象
アラブ文化圏では、超自然存在ジンにまつわる言説が日常的に語られる。
人が去った理由=ジンの祟りという解釈が生まれやすいのだという。
そして散らかった室内、置き去りにされた生活用品、扉が開けっ放しの家などの急な退去の様子が地元の想像力を刺激するのだ。
観光で訪れた人々や写真家が撮った荒廃した情景が、SNSで拡散され怪談化が進んだ。
砂に埋もれる建物そのものが視覚的に不気味で、廃墟好きや怪談好きを惹きつける要素になった…。
アル・マダムの幽霊話の具体例は?
アル・マダムの幽霊話でよく語られる民間伝承や目撃談は、以下にまとめた。
- 夜間に誰かが歩く音や子供の声を聞いた
- 建物の窓に人影が立っているのを見たが、近づくと砂だけだった
- 家財が誰かに慌てておかれたように見え、持ち主が突然逃げた痕跡がある
- 不吉な気配を感じて、車で通りすぎる運転手が嫌がる
上記は、心霊学的に検証されたものではなく、廃墟の心理的影響や写真の見え方によって語られている点に注意が必要だ。
アル・マダムの現状と観光地化の動き
近年、アル・マダムの埋もれた村は海外メディアや写真家の注目を浴び、観光的関心が高まっている。
Atlas ObscuraやBusiness InsiderやVICEといったメディアが特集し、UAEの過去を示す興味深い遺構として扱っている。

Atlas Obscuraは旅行や文化系のメディアで、Business Insiderはビジネスニュース系のメディアだよ!
そして、アル・マダムの立ち入りはかなり危険である。
文化財や遺跡保護のための観点からも、無断侵入は避けるべきだ…。
写真撮影やSNSの拡散は許可の範囲内で行い、地域コミュニティや保存活動に配慮するのがマナー。
必ず、上記のことを守ってほしい。
いかがだっただろうか
今回は、アル・マダムの埋もれた村の歴史や心霊現象は今どうなっている?現在も追ってみた!について紹介した。
アル・マダムの埋もれた村は、砂漠がゆっくりと飲み込んだ20世紀後半の小さな集落である。
実際の放棄には社会的や環境的な理由があり、心霊の噂は文化的な解釈が加わって拡大した結果なのではないだろうか?
現在は観光や保存の視点から再評価されつつあり、写真好きや歴史好きの間で関心が続いている。
いたずらや落書き目的で侵入したら、罰せられるので地元のルールを守って訪れていただきたい!
それではまた次回のお話で会おう。