バーンガル城という名前を検索エンジンに打ち込むと、真っ先に出てくる言葉が「インド政府公認の心霊スポット」だ。観光地の煽り文句ではない。インド考古調査局(ASI)が法律の形で「日没後の立ち入り禁止」を掲げている、国内でも他に例のない場所である。ラージャスターン州の荒野にぽつんと残るこの廃墟に、なぜ国家機関までもが「夜は近づくな」と看板を立てたのか。
屋根のない宮殿、崩れた市場通り、9000戸を超えたと伝わる家並みの跡。バーンガル城という場所は廃墟としての規模だけでも異様だが、そこに重ねられた二つの呪いの伝説が、この場所を単なる遺跡から「入ってはいけない場所」に変えている。今回はバーンガル城の歴史と、語り継がれる呪いの正体を掘り下げる。
結論から言うと、バーンガル城が特別なのは「幽霊が出るという噂」だけではない。噂を国家機関が制度として追認してしまった、その一点にある。
バーンガル城の歴史 – 繁栄から200年での廃墟化
バーンガル城は16世紀、アンベール王国(現在のジャイプル近郊を治めた王朝)の王族によって築かれた城郭都市だ。築城したのはアンベールの名将マーン・シングの弟にあたるマドー・シングという人物で、17世紀に入ると弟の系譜が実質的にこの地を治めるようになった。最盛期のバーンガル城には9000戸を超える家が建ち並んでいたと伝えられ、市場、寺院、宮殿がひとつの都市として機能していた。
ところが1720年前後を境に、バーンガル城の人口は急速に減り始める。飢饉や政争など複数の要因が指摘されているが、地元では「呪いのせいで人が住めなくなった」という説明のほうが根強く語られてきた。建設からわずか200年余りで、これほどの規模の都市が完全に放棄されるのは異例だ。理由が史実として一つに定まっていないことが、逆にバーンガル城の呪い伝説に説得力を与える結果になっている。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名称 | バーンガル城(バーンガル砦) |
| 所在地 | インド・ラージャスターン州、アルワル県 |
| 建設 | 16〜17世紀、アンベール王国の王族による |
| 廃墟化 | 18世紀初頭(1720年前後)に急速に衰退 |
| 管理 | インド考古調査局(ASI)が保護・管理 |
| 立ち入り | 日没から日の出まで法律で禁止 |
9000戸って、今の感覚だとちゃんとした街ワン。それが200年でまるごと空になるのは、飢饉とかだけじゃ説明しきれない気もするワン。
バーンガル城にかけられた二つの呪いの伝説
バーンガル城の呪い伝説には、系統の異なる二つの異説が並行して語られている。どちらが「本当」かを決める史料はなく、地元の語り手によって強調される話が変わる。この曖昧さ自体が、バーンガル城をめぐる噂を長く生かし続けてきた要因でもある。
一つ目は、苦行僧(サドゥー)バール・ナートの呪いだ。バーンガル城が築かれる前、この丘の上ではバール・ナートという行者が瞑想を続けていた。王が城を築く許可を求めたとき、行者は一つだけ条件を出した。「城の影が私の瞑想の場に落ちてはならない。もし落ちれば、この都市は滅びる」。ところが後の代の王が宮殿の建て増しを重ねた結果、ある壁の影が行者の瞑想の場に届いてしまう。約束を破られた行者の呪いにより、バーンガル城は住めない土地になったとされる。
二つ目は、より広く知られている黒魔術師シンギアの呪いだ。バーンガル城には王女ラトナヴァティという、ラージャスターン中にその美貌が知られた人物がいたと伝わる。黒魔術に通じたシンギアは彼女に恋をしたが、正攻法では叶わないと悟り、王女の侍女が市場で買った香油に惚れ薬の魔法をかけた。だが王女はその場面を目撃し、香油を岩に投げつける。すると香油は巨岩と化し、シンギア自身に襲いかかって彼を押しつぶした。死の間際、シンギアはバーンガル城とラトナヴァティに向けて呪いの言葉を残したという。「この地に生きる者は二度と住めない。屋根の下に人が眠ることは二度とない」。
実際、現在のバーンガル城に残る建物には屋根がほとんど残っていない。バーンガル城について風化による自然な崩落とも説明できるが、地元では「屋根を架けても一晩で崩れ落ちるからだ」という言い伝えが根強い。バーンガル城の呪いは、遺跡の物理的な姿そのものによって裏づけられているように見える構造になっている。
- バーンガル城で屋根を架けた建物が翌朝には崩れているという地元住民の証言
- 日没後にバーンガル城内から女性の泣き声や足音が聞こえるという目撃談
- 夜間に立ち入った警備員やバックパッカーが方向感覚を失ったという報告
- 王女ラトナヴァティの亡霊が今も宮殿の一角にとどまっているという噂
- バーンガル城の周辺で撮影された写真に人影のような影が写り込むという報告
- 近隣の村人がバーンガル城の土地を農地としてしか使わず、居住は一切しないという慣習
なぜインド政府公認の「夜間立入禁止」スポットになったのか
バーンガル城の入り口には、インド考古調査局が設置した看板が立っている。そこに書かれているのは「日没後の遺跡内への立ち入りは固く禁止する」という一文だ。表向きの理由は、暗闇での事故防止、野生動物との遭遇リスク、不法行為の抑止といった安全管理上のものとされている。遺跡保護区で夜間の立ち入りを制限すること自体は、世界の史跡でも珍しくない措置ではある。
ただしバーンガル城の場合、この規制が「幽霊が出るから禁止」という文脈で国内外に広く報じられ、いつの間にか「政府公認の心霊スポット」という認識が定着してしまった。ASI自身は超常現象を公式に認めているわけではない。それでも、廃墟の異様な保存状態、屋根が一つも残っていないという事実、そして200年余りで一つの都市が消えたという歴史が組み合わさることで、単なる安全規制の看板が「呪いの証明書」のように受け取られている。バーンガル城が持つ独特の説得力は、伝説と行政措置が偶然に重なり合った結果とも言える。
安全のための看板が、逆に「本当にヤバい場所」って証拠にされちゃうの、ちょっと皮肉ワン。
バーンガル城の現在 – 立入禁止の実態と観光地としての側面
現在のバーンガル城は、ジャイプルから車で3時間ほどのアルワル県にあり、日中のバーンガル城は一般の観光客も入場できる。21世紀に入ってからASIによる修復作業が進められ、崩れかけていた宮殿や市街地の一部が復元され、16〜17世紀のラージャスターン様式の城郭都市の姿を目にすることができる貴重な史跡になっている。呪いの噂だけでなく、建築史・王朝史の観点からも訪れる価値のある場所だ。
一方で、バーンガル城への日没から日の出までの立ち入りは法律で禁止されており、これを破ると罰則の対象になる。それでも「肝試し」目的で夜間に忍び込む観光客やユーチューバーが後を絶たないのが実情で、地元の警備員が巡回して追い返すという光景が繰り返されている。バーンガル城を訪れる際は、必ず開場時間内に入場し、日没前には敷地を出るというルールを守る必要がある。呪いを信じるかどうかにかかわらず、これは単純に法律上の義務だ。
肝試し目的で忍び込むのは、呪い以前に普通に違法だから絶対やめてほしいワン。
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バーンガル城が今も注目され続けているのは、幽霊譚が派手だからではない。行政機関が「立ち入るな」と正式に定めるほどの何かが、あの荒野に確かに残っているという事実そのものが、200年前から変わらず人を引きつけているからだ。屋根のない宮殿の下で、王女と魔術師の呪いは今もまだ語り継がれている。
それではまた次回のお話で会おう。

