フランクリン城と呼ばれる屋敷が、オハイオ州クリーブランド、オハイオシティ地区の一角にそびえている。
灰色の石造りの塔は、1883年に建てられて以来140年以上、クリーブランドで「最も呪われた家」という評判を背負い続けてきた。
本記事では、なぜこのフランクリン城が呪われたと言われるのかを調べてきた。
今回は、アメリカ最恐のフランクリン城…家族6人が消えたオハイオ州最恐の呪われた城とは!?について紹介しよう。
フランクリン城とは?
フランクリン城は1881年から1883年にかけて、フランクリン・ブールバード4308番地に建設された。
当時のフランクリン・ブールバードはクリーブランドでも屈指の高級住宅街で、石灰岩造りのクイーン・アン様式の外観は近隣でも際立って豪華な見た目。
建てたのはドイツからの移民で、銀行業や不動産業で財を成したハンス・ティーデマン。
妻ルイーゼと子どもたちのために、当時としては破格の大邸宅を用意した。
身内の不幸
だが引っ越してからのティーデマン家には、不幸が重なった。
1881年1月、15歳になる娘エマが糖尿病と発表されて急死する。
その後も乳児だった3人の子どもたちが相次いで命を落とし、1895年には妻ルイーゼが病死。
ティーデマンはその翌年、フランクリン城を手放している。わずか十数年のあいだに家族の大半を失った計算になる。
こわくん短い期間にこれだけ立て続けに人が亡くなると、噂が生まれるのもわかる気がする。
クリーブランドの郷土史家ウィリアム・クレイチは著書「Haunted Franklin Castle」の中で、この一族の評判について異なる見方を示している。
彼の調査によれば、ティーデマン夫妻は近隣でも慈善事業に熱心な、むしろ善良な人々だったという。
娘エマの死因も、当時流行していた糖尿病(現代でいう1型糖尿病)による衰弱死である可能性が高く、殺人を疑う根拠は見つかっていない。
それでも「ティーデマンは家族を手にかけた」という噂は、彼が屋敷を去ってから80年近く経った後になって、突如として広まり始めることになる。
フランクリン城の隠し部屋と秘密の通路の謎
ティーデマン家が去った後、フランクリン城は1921年から1968年まで「アイントラハト・ホール」としてドイツ系文化団体の拠点になっていた。
合唱クラブとして使われていたこの期間、フランクリン城は比較的平穏だった。
転機が訪れたのは1968年、団体がフランクリン城を売却し、新しい所有者が改装工事に着手してからだ。
工事の過程で、玄関脇の壁にスライド式の隠し壁が見つかる。
使用人が地下の使用人部屋へ移動するための通路で、その階段の下にはさらに小さな隠し部屋があった。
当時の社会主義運動のビラと、禁酒法時代の酒瓶が保管されていたという。
この発見が「フランクリン城には隠し通路がある」という噂に現実味を持たせ、後の心霊スポット化を加速させた。
かいちゃんなんか、すごいことになったね…
フランクリン城の隠し通路はこの一箇所しか公式には確認されていないが、噂ではさらに複数の抜け道が存在するとも語られている。
特に有名なのが、1975年に当時の所有者サム・マスカテロが塔の部屋の壁の空洞から人骨を発見したという一件だ。
ティーデマンに殺された使用人の遺体や屋敷の壁に塗り込められた乳児十数人分の骨といった見出しが地元紙を賑わせた。
後の調査で骨は近隣の医学校か墓地から持ち出された古いものである可能性が高いと判明している。
マスカテロが幽霊屋敷ツアーの集客のために骨を仕込んだのではないか、というのが現在の歴史家の大方の見立てだ。
フランクリン城で報告されている心霊現象
フランクリン城の噂は、以下のものが多く語られている。
- 塔の部屋や舞踏室で、誰もいないのに子どもの泣き声が聞こえる
- 誰も触れていないドアが独りでに閉まる、鍵がかかる
- 階段や廊下に黒いドレスを着た女性の全身の姿が現れる(ルイーゼ・ティーデマンとされる)
- 見学者や宿泊者が、背後から肩を掴まれる感覚を訴える
- 照明やコンセントが理由なく点滅・作動不良を起こす
- 心霊調査の録音機材に、子どもの声とされる音声(EVP)が記録される
2022年からは所有者が期間限定で宿泊プランを提供している。
実際に一泊した体験者が動画やブログで塔の部屋の異様な冷え込みや、階段からの足音を報告している。
もっとも、100年以上前の石造りの建物であること自体が、隙間風や床鳴りといった説明のつく現象を生みやすい面もある。
なぜフランクリン城はオハイオ州で最も呪われた家と言われるのか?
オハイオ州で最も呪われた家と言われるのは、以下のことが原因なのではないかと言われている。
- フランクリン城の建設からわずか十数年でティーデマン家の6人が屋敷内、または屋敷と関わる時期に死亡している
- フランクリン城にある使用人の隠し通路や隠し部屋という「現実にあった仕掛け」が噂に信憑性を与えている
- フランクリン城では1975年の人骨発見という、当時のメディアが大きく報じた実際の事件がある
- フランクリン城のクイーン・アン様式特有の塔・尖った屋根・急な階段が、視覚的に「いかにも」な恐怖感を演出している
- フランクリン城は1968年以降、複数の所有者が入れ替わり、そのたびに新しい目撃談が積み重なっている
かいちゃん本当の悲劇と、あとから盛られた作り話が混ざり合ってるのが、フランクリン城の怖さの正体かもしれないね。
興味深いのは、フランクリン城が最も呪われた家と呼ばれ始めたのが、ティーデマン一家が去ってから70年以上も後の1968年前後だという。
フランクリン城の評判は、悲劇そのものよりも、悲劇が忘れられかけた頃に再燃した噂によって作られている。
実際の悲劇(家族の相次ぐ死)と、後年になって加速した都市伝説(隠し通路・人骨・虐待の噂)が積み重なって、今の評判が出来上がっている。
現在のフランクリン城は?
2011年、キットとパスカルという夫妻がフランクリン城を購入し、現在も自ら屋敷内に居住しながら修復作業を続けている。
長年放置されていた配管・電気・外壁を少しずつ直し、2022年のクリスマスイブには初めて一般客向けの一泊宿泊プランを実施した。
夫妻はSNSやメディアの取材で、屋敷の歴史的価値を伝えると同時に、誇張された都市伝説を訂正する発信も行っている。
フランクリン城は現在、国家歴史登録財(National Register of Historic Places)にも登録されている。
心霊スポットである以前に、19世紀クリーブランドの建築様式を伝える貴重な現存物件でもあるのだ。
呪いの噂が観光資源になっている一方で、所有者夫妻は「歴史的建造物としての保存」を第一の目的に掲げている。
フランクリン城を一目見ようと訪れる観光客は年々増えており、オハイオシティの街並みの中でも一際目立つランドマークになっている。
いかがだっただろうか
今回は、アメリカ最恐のフランクリン城…家族6人が消えたオハイオ州最恐の呪われた城とは!?について紹介した。
家族の実際の死という悲劇に、隠し通路や人骨発見という現実の出来事が重なり、そこへ80年分の噂が上乗せされた結果が、今のフランクリン城の姿なのだろう。
現在は所有者夫妻の手で少しずつ修復が進み、呪いの伝説と歴史的建造物としての価値が同居する、珍しい屋敷になっている。
フランクリン城はこれからも、クリーブランドで最も呪われた家として語り継がれていくはずだ。
それでは次回のお話で会おう。

