イギリス・イーストサセックス州、ヘリングリー村に残る廃墟。
かつてイーストサセックス州立精神病院として、最盛期には約2000人もの患者を収容していた大規模施設である。
1994年に主要棟が閉鎖されて以降、建物は放置され、廃墟愛好家の間で知られる存在になった。
今回は、ヘリングリー病院の歴史と噂…イギリスに残る廃精神病院とは!について紹介しよう。
ヘリングリー病院とはどんな施設だったのか
建設は1898年に始まり、1903年に開院した。
当時のロンドン精神病収容委員会お抱えの建築家、ジョージ・トーマス・ハインが設計を手がけた、当時としては最先端の精神病院だった。
1948年、イギリスの国民保健サービス(NHS)発足にともない、施設名は正式にヘリングリー病院となる。
しかし1980年代以降、患者数の減少とともに施設の役割は縮小し、1994年に主要な建物はすべて閉鎖された。
建設費は当時の金額でおよそ35万3,400ポンド、東サセックス州がチチェスター伯爵から400エーカーの農場を1万6,000ポンドで買い取ったところから、この巨大な事業は始まっている。
敷地の広さは実に400エーカー、東京ドーム約35個分にもなる。
それだけの広大な土地に、管理棟・礼拝堂・複数の病棟が計画的に配置された、一つの町のような施設だったのだ。
かいちゃん2000人も収容してた病院が、まるごと廃墟になったってことだよね
こわくん閉鎖後は放火や盗難が相次いで、建物の傷みが一気に進んだらしいよ
廃墟として語られてきた噂
閉鎖後のヘリングリー病院は、放火・破壊・盗難といった被害を繰り返し受け、急速に荒廃していった。
2003年頃には、廃墟を専門に探索する人々の間で知られる存在となり、内部の写真や記録が多数残されている。
かつて多くの患者が長期にわたって収容されていた場所だけに、廃墟となった今も「誰かの気配を感じる」と語る訪問者は少なくない。
礼拝堂や独立した病棟(ヴィラ)群が敷地内に点在し、崩れかけた回廊や割れた窓が、かつての規模の大きさを物語っている。
こうした精神病院跡地は、イギリス国内でも心霊スポットとして語られやすい傾向があり、ヘリングリー病院もその代表例のひとつに数えられている。
現在の姿
2010年頃から敷地の大部分は再開発が進み、住宅地へと姿を変えつつある。
再開発後の街はローバック・パークと名付けられ、ヴィクトリア朝やサセックス地方の伝統的な建築様式を意識した外観の住宅が、約450戸建てられる計画で進められた。
かつての建物の多くはすでに解体され、残っているのは礼拝堂などごく一部にとどまる。
なお、敷地内の一部(アッシュンヒル・低警備ユニットなど)は、病院閉鎖後も別の医療施設として機能していた時期があり、廃墟のイメージだけでは語りきれない側面もある。
現地は私有地・工事区域として管理されており、無断での立ち入りは法的にも安全面でも避けるべきである。
設計に込められた当時の思想
ヘリングリー病院の設計を手がけたジョージ・トーマス・ハインは、イギリス各地の精神病院設計を数多く担当した建築家である。
当時の精神医療は、患者を一つの巨大な建物に集めるのではなく、複数の独立した病棟(ヴィラ)に分けて収容する「コロニー方式」が先進的とされていた。
ヘリングリー病院もこの方式を採用し、広大な敷地内に管理棟、礼拝堂、複数のヴィラ、さらには専用の鉄道引き込み線まで備えた、当時としては最先端の複合施設として計画された。
病院専用の電気鉄道という異色の存在
ヘリングリー病院を語るうえで欠かせないのが、敷地内に敷かれていた専用鉄道「ヘリングリー・ホスピタル・レイルウェイ」である。
本線の駅と病院施設とを結び、ボイラーや発電設備で使う石炭を運ぶために使われていた。
同じような鉄道を持つ他の州立精神病院の多くが蒸気機関車を使っていたのに対し、ヘリングリーは電化された路面電車方式を採用していたという点で、当時としては珍しい存在だった。
かいちゃん病院の中に専用の電車が走ってたなんて、ちょっと想像しにくいスケール感だよね
こわくんそれだけ広くて、外部から自己完結してた施設だったってことなんだろうな
旅客輸送は1930年に廃止され、1959年には燃料が石炭から石油に切り替わったことで、線路そのものも撤去された。
今では跡地の一部に、かつて鉄道が走っていたことを示す痕跡がわずかに残るのみだという。
患者の生活の質を高めようとする意図があった一方で、結果として広大な敷地全体が外部から隔絶された「一つの街」のような閉鎖空間になっていったとも言える。
イギリスに残る精神病院跡地という現象
ヘリングリー病院に限らず、イギリスでは20世紀初頭に建てられた大規模精神病院の多くが、1980年代以降の医療方針の転換によって次々と閉鎖されていった。
地域社会での治療を重視する方針への転換にともない、大規模収容施設そのものの役割が見直されたためである。
その結果、同じような広大な廃墟が各地に残されることになり、ヘリングリー病院はその中でも特に保存状態がよく、記録が充実していた例として知られている。
再開発が進む今、こうした記録は、当時の精神医療のあり方を振り返る貴重な資料としての側面も持ち始めている。
いかがだっただろうか
今回は、イギリス・イーストサセックスに残るヘリングリー病院の歴史と、廃墟として語られてきた噂について紹介した。
2000人が暮らした場所が、静まり返った廃墟へ、そして新しい住宅地へと姿を変えていく。その変化の速さこそが、この場所の物語を際立たせているのかもしれない。
- 1903年開院、最盛期は約2000人収容の州立精神病院
- 1994年閉鎖後、放火・盗難で荒廃し廃墟探索者の間で知られる存在に
- 2010年代以降は再開発が進み、現存する建物はごく一部
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