羽幌炭鉱の廃墟がヤバい!4階建てアパートに残る噂と、閉山から半世紀経っても崩れ続ける町の正体とは?

羽幌炭鉱という地名を検索すると、地図アプリには何も表示されない。北海道苫前郡羽幌町の山あいに、かつて1万2千人が暮らした街がまるごと消えているからだ。

羽幌炭鉱は1935年(昭和10年)に操業を開始し、1970年(昭和45年)にたった35年でその歴史を終えた炭鉱だ。閉山からすでに半世紀以上が経つが、山中には今も4階建ての巨大な炭鉱住宅群、崩れかけた病院、深く口を開けた竪坑や斜坑の跡が、当時のまま放置されている。

誰も住んでいない4階建てアパートが2列に並んで山の中に建っている――その光景を初めて見た人間の反応は、たいてい「怖い」より先に「意味がわからない」だという。パチンコ店も映画館もプールもあった街が、なぜここまで完全に人の気配だけを消して残っているのか。

今回は羽幌炭鉱の歴史と、現在も廃墟として残る建物群、そして地元やライダー・廃墟愛好家の間で語られている噂について、できる限り事実を整理しながら紹介していく。

目次

羽幌炭鉱の歴史――繁栄と、35年で訪れた終わり

羽幌炭鉱は、羽幌炭礦鉄道株式会社によって開発された炭鉱で、1935年に羽幌坑(本坑)・上羽幌坑・築別坑の3区の整備が完了し、本格的な採炭が始まった。北海道北西部は古くから「留萌炭田」と呼ばれる産炭地帯として知られており、羽幌炭鉱はその中でも良質な石炭を産出する鉱山として位置づけられていた。ここで採れる石炭は煙とすすが少なく、発電所向けや家庭用暖房用として全国に出荷されていたと言われている。

羽幌炭鉱が最も賑わったのは1960年代だ。1968年(昭和43年)には3区合わせて人口が約1万2千人に達し、世帯数は2,700を超えていたという。山あいの一角に、居酒屋、パチンコ店、映画館、プール、百貨店、ガソリンスタンドまで揃う一つの「街」が丸ごと存在していたことになる。炭鉱労働者とその家族にとって、羽幌炭鉱は生活のすべてがそこで完結する場所だった。

しかし国のエネルギー政策が石炭から石油へと大きく舵を切ったことで、日本各地の炭鉱と同じく羽幌炭鉱も採算が合わなくなっていく。1970年、羽幌炭鉱は閉山を迎えた。1万人を超えていた住民は、仕事を失い、全国へ散り散りになっていったと伝えられている。街が消えるまでにかかった時間は、驚くほど短かったという。

特に印象的なのが、築別坑地区に建てられた4階建ての炭鉱住宅群だ。1969年に完成したばかりのこの集合住宅は、入居からわずか1年ほどで閉山を迎え、住民が去っていったという記録が残っている。生活が始まったばかりの建物が、そのまま無人になった。羽幌炭鉱という場所が異様な空気をまとっている理由の一つは、この「完成した直後に終わった」というタイミングの悪さにあるのかもしれない。

今も残る羽幌炭鉱の廃墟群を写真で振り返る

羽幌炭鉱の跡地は羽幌坑・上羽幌坑・築別坑の3区に分かれており、特に築別坑周辺には当時の建物が比較的まとまって残っている。半世紀以上放置された構造物は年々崩壊が進んでおり、屋根や床が抜け落ちている建物も少なくない。羽幌炭鉱に今も残る主な廃墟は以下の通りだ。

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羽幌炭鉱には、幽霊の噂以上に「1万人以上が生きた街が、たった数年で完全に消えた」という事実そのものの重さがある。山の中で朽ちていく4階建てアパートは、今日もただ静かに、誰もいない部屋の窓をこちらに向けている。

それではまた次回のお話で会おう。

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