ホテル・デル・コロナドの正体とは?ケイト・モーガンの謎の死とアメリカ最恐リゾートの心霊現象

ホテル・デル・コロナドは、アメリカ屈指の心霊スポットとして名前が挙がるサンディエゴの高級リゾートだ。赤い尖塔がそびえる白亜のヴィクトリア様式建築は、昼間は観光客でにぎわう美しい海辺のホテルにしか見えない。だがその同じ建物の3階、一部屋だけ、130年以上も「彼女」の噂が消えない。

ホテル・デル・コロナドで語り継がれているのは、1892年に亡くなった一人の女性の話だ。自殺として処理された死は、後年になって銃創の矛盾が指摘され、今も完全には決着していない。ホテル・デル・コロナドを訪れた人々が体験する怪奇現象の多くは、この未解決の死と地続きになっている。

今回はホテル・デル・コロナドの歴史、ケイト・モーガンという女性の死の真相、語り継がれる心霊現象、そして現在も現役の高級ホテルとして営業を続けるこの場所の「今」までをまとめて紹介する。

目次

ホテル・デル・コロナドの歴史とケイト・モーガンの謎の死

ホテル・デル・コロナドの開業は1888年2月19日。サンディエゴ沖に浮かぶコロナド島に建てられたこのホテルは、当時としては破格の規模を誇る木造建築で、開業直後から国王・大統領・ハリウッドスターが宿泊する社交の中心地になった。現在は757室、28エーカーのビーチフロントを持つナショナル・ヒストリック・ランドマークとして、開業から130年以上を経てなお現役の高級リゾートであり続けている。

ホテル・デル・コロナドの名を心霊スポットとして決定づけたのは、1892年11月に起きた一人の宿泊客の死だ。名前はケイト・モーガン、24歳。彼女はロッティ・アンダーソン・バーナードと名乗り、11月24日、感謝祭の日にホテル・デル・コロナドに一人でチェックインした。医師をしている兄がここで合流すると告げていたが、実際に彼女が待っていたのは兄ではなく夫のトーマス・モーガンだったとされる。夫は「アンダーソン医師」という偽名で別行動を取っていた。

チェックインから5日後の11月29日、ケイト・モーガンはホテル・デル・コロナドの外階段の下で遺体となって発見された。死因は頭部への銃創。サンディエゴ郡の検死官は自殺と結論づけたが、審問の過程で「彼女が所持していた銃と、頭部から摘出された弾丸の型が一致しない」という証言が記録に残っている。1980年代に入って弁護士アラン・メイがこの記録を再調査し、他殺の可能性を指摘したことで、ケイト・モーガンの死は一気に「未解決事件」として注目を集め直した。彼女と親しくなっていたホテルの客室係が、葬儀の翌日に忽然と姿を消したという記録も残っており、憶測を呼んでいる。

項目内容
名称ホテル・デル・コロナド(Hotel del Coronado)
所在地アメリカ・カリフォルニア州サンディエゴ、コロナド島
開業1888年2月19日
心霊の主ケイト・モーガン(1892年11月29日死去、24歳)
心霊スポット3327号室(旧302号室)を中心にホテル全体
現在757室の現役高級リゾートホテル、National Historic Landmark

検死の弾丸が本人の銃と合わない…これはただの事故処理とは思えないワン

ホテル・デル・コロナドで語られている心霊現象・噂

ホテル・デル・コロナドの怪異報告のほとんどは、ケイト・モーガンが最期に滞在した部屋、現在の3327号室に集中している。歴代のスタッフと宿泊客が語る現象を整理すると、次のようになる。

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まとめ

ホテル・デル・コロナドは、130年以上前に一人の女性が遺した謎を今も抱えたまま、現役の高級ホテルとして客を迎え続けている。ケイト・モーガンの死が本当に自殺だったのか、それとも別の誰かの手によるものだったのか。答えは検死記録の中にも、3327号室の壁の中にも見つかっていない。

赤い尖塔を海風にさらしながら、ホテル・デル・コロナドはこれからも観光客とゴーストハンター、両方を同じ扉から迎え入れる。その扉の向こうで何が待っているかは、実際に3327号室のドアを開けた人間にしか分からない。

それではまた次回のお話で会おう。

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